サンフランシスコ三田会の歩み

1957年、三和銀行桑港支店長として乾 恒雄氏(1933年経卒、後にオリエントリース社長、オリックス会長を歴任)が着任され、乾氏を親分格として慶應義塾に縁のある人々が、大和スキヤキに時々集まって会食したり飲んだりする、会長もなく、会則もない親睦会として発足した。

当時のメンバーは、乾氏をはじめ、三和銀行の長谷川氏、三菱商事の鈴木氏と上野氏、松方氏(ライシャワー大使夫人の弟、普通部)、Fujiパールの久保氏、現在、当地三田会の最長メンバーの当時東京銀行の小川 春季氏(1934年経卒)などの7、8人であった。

1961年4月、現在、当地三田会の2番目の長老の原 治氏(1944年経卒)がサンフランシスコに着任され、三田会に加わる。アメリカの船会社、State Marine Lineのセールス担当をされていた原氏は、日本商社を訪問するたびに塾員を探し出し、三田会の発足に貢献された。そして「桑港三田会」の正式発足が企画され、東京銀行の杉田氏、三井物産の高山氏、トーメンの絹川氏、丸紅の斉藤氏、キッコーマンの古川氏、加商の石川氏、東食の東郷氏、明正通商の下村氏などがメンバーとして加わった。

そのうちサンフランシスコ三田会として行動する上で会長が必要となり、1962年に東京銀行に着任の原田 直二氏(テニスの名選手)が初代会長に就任された。さらに1963年には、サンフランシスコ三田会の第一回ゴルフ大会をソノマ カウントリークラブで開催。以来ゴルフ大会はサンフランシスコ三田会に欠かせない行事になっており、春秋の慶早戦に加え、1992年頃からは夏の親睦ゴルフ、また現在では大学対抗戦も開催されている。

1968年に原田会長が帰国され、長谷川氏が会長に就任された。名簿が完成したのもその頃のことである。1972年、故 津山氏(1941年卒)が東京銀行に着任され会長にご就任。その後、1987年に体調を崩され加州東京銀行を辞任、帰国されるまで、サンフランシスコ三田会の顔として大いに活躍いただいた。

その間サンフランシスコ三田会の行事として特筆すべきことは、まず1977年にカブキ劇場で開催した服部 正氏指揮による慶應マンドリンクラブの演奏会である。会場は満員で大変な反響をよんだ。津山会長をリーダーに、同じく東京銀行の六川氏を始め会員一同が結束してこの催し物を大成功に導いた。

一方、その頃ピクニックを催し、家庭的な結びつきを作ろうとオリエンタルパールの故 明石氏、日本郵船の安田氏が中心となり準備を進めた。1975年に開催された第一回ピクニックには、伊藤ハムのご尽力で高級ステーキがバーベキューで焼かれ、出席者を驚かせた。伊藤ハム、JFC、石亭、キッコーマンなどのご協力により、とびきりおいしいステーキのバーベキューを照り焼きソースと各自持参のおにぎりで味わう伝統は、今なお続いている。また、日本語学校から借りる綱での綱引きとスイカ割りが、いつのまにか大々的な運動会となり、会員のドネーションによる盛りだくさんの賞品に、アンパン競争、障害物競走、豆拾い競争などに恥も外聞もなく競いあい、会員が家族と一緒に友好を深める行事となった。90年代初めに運動場の予約がとれず、運動会の替わりに行った夏祭りは大ヒットであった。幹事が手作りで用意した本職並みの用具をつかっての金魚すくいや水風船つりに、会員と家族はなつかしい日本の風習を味わうことができた。

新年会にはマネージャーの佐々木氏のご協力で、Peacock Gap Country Clubを会場に提供していただき、夕食の後「カジノの夕べ」を開催し、ルーレット、ブラックジャックの台も備わり、幹事一同ディーラーとなり大活躍して、三田会の資金源にした。新年会でのカジノは大変人気があり数年続いたが、シリコンバレーの発展、また子女の教育問題などから市内に住む会員数が徐々に減るとともに、新年会の会場もサンフランシスコ市内、さらに南方に移り、カジノにかわってカラオケ大会、ダンスパーティー、社交ダンス教室などがこれまでに企画されている。

一時期は会員数も150人を超えたこともあったが、転勤する日本人の数が減るにつれて三田会のメンバーも縮小。現在は100人ほどである。それでも当地の大学の同窓会としては最大かつ最も活動的なサンフランシスコ三田会である。稲門会が主催したボニージャックスの歓迎会に三田会にも参加を求められ希望者を募ったところ、三田会からの希望者のほうが多く、つりあいがとれるようにと三田会からの参加者を減らしたというエピソードもある。現在のサンフランシスコ三田会は、原氏の絶大なるご支援によるところが大きい。ヨチヨチ歩きのサンフランシスコ三田会をこれまで育て上げた原氏は、当地三田会のまさに恩人である。この原稿も鳥居前塾長歓迎会の際、原氏が執筆なさった原稿を基にしている。

1986年に始まった3年に一度の野球部の歓迎会、1989年の慶應NY学院(高等部)学院長のご来訪、そしてサンフランシスコ三田会発足以来初めての鳥居前塾長の1995年のご来訪も当地三田会にとっては楽しい思い出となっている。